どんなものにも背景があって、それは”ヒト”によって創り出されている。お酒の場合、造り手・売り手・飲み手のすべてが一体化されたときに、その酒の価値は最大限に生かされていると思う。「作り手の顔が見える酒というか、気持ちがこもっているか否かは、すべてのお酒に現れてくるように思う。」と話してくれるのは、日本の伝統工法によって作られる土壁の左官職人で、建物の建築技術の継承や職人育成にも尽力する竹本茂之さん(57)に、同じ作り手の立場からいろいろ聞いてみた。
日本酒との出会いは20歳を過ぎたころで、その時に飲んだお酒が口に合わず、悪酔いをして散々な思いをしたので印象はよくなかった。数年後、とある機会で久しぶりに飲んだ獅子の里(松浦酒造)の「八重樫」のうまさに衝撃を受け、日本酒のイメージは一変する。
その後、自宅近くの「おさけやさん西本」(現在は金沢市浅野本町)によく足を運ぶようになった。店主の西本久孝さん(故人)は、本当に日本酒の好きな方で酒造りや酒質はもちろん、いろんな蔵元の話もしてくれたり、また、納得いくお酒を選んでほしいと言って、当時は、どんなお酒でもきき酒をさせてくれました。
中でも、「池月」への思い入れは格別で「手造りだから、その年々で酒の味も微妙に違ってきます。その年にできたお酒をどう楽しむかもお酒の醍醐味の一つです」と言われ、お酒の見る目が変わっていった。私の日本酒の師匠ともいえる方だ。
その西本さんが主催するお酒の会に誘われたときに、初めて「池月」の柳矢杜氏さん(当時)にお会いしました。丁度、「みなもにうかぶ月」が発売されて三年目のころだったと思う。柳矢杜氏さんに「どの年のみなもがよかったですか」と不躾(ぶしつけ)な質問をしたところ「同じものは造れない。これまででは一年目が一番いいと思う」と、包み隠さず答えてくれた真っ直ぐな柳矢杜氏さんに好感を抱いた。この人は本当の職人だと思った。
その後、「ボジョレーの会」「秋の宴」「蔵元見学会」など機会があれば参加し、いろいろなお酒と多くの人と出会えたことは本当にいい経験でした。お酒の会では日本酒に長けた方も多く、例えば、生酒や吟醸酒などの冷や酒を飲んでいた私に、大吟醸酒のぬる燗をはじめとする燗酒の楽しみ方や長期熟成酒の深みと旨みなどの教えてもらい、お酒の奥深さや楽しみの幅もグンと広がった。動けば動いた分だけ自分の知恵となって残るとともに、自分が求めれば求める人に会える。
「池月」は、今期から新杜氏の川井杜氏さんが造りに携わった。名匠・柳矢杜氏さんの後を継ぐプレッシャーにも負けず「池月」をきっちりと表現している。これは柳矢杜氏さんの指導力とお人柄の賜物。「池月」の魅力はと聞かれたら、まさしく造り手の思いが”人のつながり”によって伝わるところにあるように思う。今後も微力ながら応援し続けていきたい。
平成19年3月25日に発生した能登半島地震では、多くの土蔵が損壊した。その数は輪島市内だけで一年間に600棟に上った。土蔵は輪島塗や日本酒醸造の重要な産業基盤(製造兼基盤)であるため、土蔵の消滅への危機感からNPO法人輪島土蔵文化研究会(ティファニー財団賞第5回伝統文化振興会受賞)を設立し復興支援活動を始めた。全国から100人近い左官職人が集まり、またボランティアの学生などのべ数百人が輪島に何度も足を運んだ。竹本さんも土蔵修理の親方(技師)として参加する。修復作業は長丁場で一度の作業でも数日の泊りかけになる。竹本さんは「毎夕食時には、お酒を提供して労をねぎらうとともに楽しい場づくりに日本酒は大いに貢献してくれた」と、日本酒普及に一役買ってくれた。
(参考資料ティファニー財団賞の輝き)
池月のような日本酒に限らず、お酒全般に共通しているのは、酵母という微生物の力でアルコールを生成している点です。材料の中の糖を酵母が食べてアルコールを排出します。これをアルコール発酵と呼びます。日本酒の場合、主原料は米(蒸米)です。米にはデンプンはありますが糖はありません。
ではなぜ酒になるのでしょうか?それは、日本酒造りの工程の中で、麹というものをつくり、その麹が米の中のデンプンを糖に変えてくれるからです。
それでは次号でご説明します。お楽しみに!
(金沢市堀川町8-20 第一直江ビル一階) 創業2011年9月
金沢駅近くにお店を構える「ほっこり」は日本酒中心の和風バー
「石川県は他県にも引けを取らない取らない日本酒の銘醸地です。地元の方はもちろん、他県からのお客様にも美味しい石川のお酒を味わってもらいたい」と田中さん。
実は、田中さんは鳥屋酒造の親戚にあたる方で、当初から「池月」を中心とした石川地酒を発信することを決めていた。早速、蔵元に出向き叔父(田中専務)に相談したところ伸栄館の瀬戸さんを紹介され、品揃えや提供のアドバイスを受けた。
また、鳥屋酒造の先代社長は田中さんの祖父にあたり「お祖父ちゃん子の私は、幼いころ蔵が遊び場だった」というように、日本酒の遺伝子はしっかり受け継がれていた。
しかし、誰もが経験したように日本酒との出会いは最悪だったというが、10数年前「吟醸みなもにうかぶ月」を飲んだ時に日本酒のイメージが一変した。今では、”お店の看板酒”として薦めているという。
カウンター9席のみの小さいお店で、たびたびお客様には迷惑をかけているが「お客様との対話を大切にすることで親近感もわきます。お酒は楽しく飲んでもらいたいですから、私にとってはちょうどいい大きさです。」と田中さん
「私にとって『池月』は特別なお酒です。でも、知らない方も多くて寂しい思いもありますが、だからこそ俄然やる気がわいてきます。」と頼もしい限り。「お客様の『おいしい』や『笑顔』はすべての蔵元さんのお蔭様です。驕ることなく臆することなく、お客様の笑顔が増えるよう頑張っていきます」と、謙虚な言葉にも頼もしい池月応援団に感謝した取材だった。